自分史最終章 Part-1
いままで書いてた自分史の最終章.
何かを自分に言い聞かせるためにここに残します.
過去
私は相当な昔,少なくとも小学校時代程度から今に至るまで,性別の区分けを忌避してきた.これは「私は,身体が男のものであるにもかかわらず,自身がそうであるとはどうしても思えない.だが,身体が女のものでもない以上,それとも違うように思える」ということから,男女という性別の双方に抵抗を感じてしまったことに起因すると思う.
- いわば「男ではない,女とは思えない」って状態かな.結局,私が「無性別」って思ってるのはこのあたりが原因ではないかと思う.
- もし,「身体が男なだけ」とでも思えるならまた話は違ったのかもしれないけど,私はそうもできなかった.
しかし,自分の考えがどうあれ身体が男のものであることは事実であり,当然ながらそれに基づいた取り扱いを受けることとなる.私はことあるたびそれらを嫌悪し,しかし嫌悪を感じつつもそれを解消することなくただ耐えて,ときに回避しつつ生きていた.これにより,私は(自身が)男であることへの嫌悪を徒に増大させてしまった状態にあったのだろう.
- 耐えるのは得意だったんだ.だけど,「嫌」っていう感情が振り払えたかとなると‥.
正直言えば,単に「溜めこんだだけ」にも思える.
とはいえ,「男とは思えない」と考えている一方で,「女とは違う」という意識(これは身体がそうではないことに起因する面が大きいように思える)もまた有しており,このため,ある程度を超えて女のような振る舞いをすることは避けるべきだという考えにも長年あった.加えて,「身体が男のものである以上,男として生きねばならない」という考えが長年あったのも事実である.
- あと,身体のほかにも,「男装」が好きだったりとか,あまり(一般的にいう)「女らしい」っていうものが苦手だったっていうのもあるかな.
- 「女装」などにさっぱり手を染めなかった,トランス絡みの情報とかから目を背けてたのはおそらくそのあたりが原因.
性別ってのが大嫌いな割に,性別規範にはがんじがらめに縛られてたと思う. - 「男として生まれたものが,男以外の存在として生きるなんて,ほかの人はともかく私には無理」って思い込みがあったのも否定できない.
ただ,そのような考えがあったにもかかわらず,それができたかといえば正直疑わしい.
自身が男であることへの嫌悪感は消えることはなく,さきに述べた通りただ耐えるだけ・回避するだけであり,それら,特に後者により日常生活に支障が生じていたことは否定できない.さらにそれは歳を経るにつれ悪化する一方であり,なんら改善はみられなかった.
最終的には「性別不詳(自身を男とも女とも思えない以上,それが最善に思えた)で,しかし男として生きればよい」程度にまで考えを変更したが,それすら果たすことはできなくなっていた.結局,私は「自身が男である」ということを受け入れきれなかったのだろう.
- いろいろ試した挙句がこれだった.
- 「性別不詳」ってのは,見た目には確かに満足するんだけど,性別を訊かれる・話題に出される頻度が俄然上がってしまったのが痛かった.
性別を訊かれたら身体の方を答え(「そうすべき」って考えがあるからな),結局嫌悪に悶えることになる.あと,話題に出されるのはやはり勘弁願いたい.
一方,私にとって「女」(そのように振る舞うこと,また自身がそれである可能性を考慮すること)は,先述の考えにより,いわば触れてはならない事柄であり,事実長い間それは避けてきた.
が,最近になってそのように振る舞い――男でありたくなく・「男でも女でもない性別」というのが現実には存在しない以上,選べる手段は「女」以外に思いつかなかった――,わずかな期間ながら,周囲に「女」と認識される・そのような取り扱いを受けるなどした結果,自分でも意外ではあったが,「馴染む」そして「それをやめたくない」という感情が強くあった.
- 一応X(無性)自認とはいえ,実際にはそのような性別は存在しないわけで.そうなると性別不詳でも結局は男でしかない.
つまり,「男」を振り払えるのは「女」しかない. - ただ,馴染んでしまったのは自分でも想定外だった.てっきり抵抗とかを抱くものかと思っていた.