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自分史最終章

性別の話(通院記録)

2月20日に直近5年,3月5日に特に性別への違和・嫌悪が強くなった直近2年の自分史を提出.これで過去分の提出はすべて終了しました.
この段階になるともう,何とか(意地で)「男にしがみついていた」という状態ですね.
結局,去年6月からの女性ホルモン投与,9月末からのジェンクリへの通院,11月からの「女装」の結果,それもほぼ崩壊してしまったのですが.

これで終わり‥というわけではなく,次回は「過去分の要約,および将来への希望」をまとめて提出するとのこと.
とはいえ,次回これで最後だと思いますが‥.


一応これらは次のような内容でまとめてみる予定.
まず前者については

  • 私は結構な昔から,性別の区分けというものを忌避してきた.
    これは「私は,身体がそうであるにもかかわらず,自身が男であるとはどうしても思えない.だが,身体がそうでない以上,女とも違うように思える」ということから,男女という双方に抵抗を感じてしまったことに起因すると思う.
  • ただ,「男とは思えない」と思っている一方,身体が男のものであることは事実であり,そのことから,(自身が)男であることへの嫌悪を消せないまま増大させてしまった状態にあった.
  • とはいえ,「女とは違う」という意識もまたあった(これは身体に引きずられた面が大きい)ため,結果的にそのような振る舞いをとっていたこともないわけではないが,女のような振る舞いをすることは避けるべきだという考えに長年あった.
    加えて,「身体が男のものである以上,男として生きねばならない」という意識があったのも事実である.
  • ただ,そのような意識があったにもかかわらず,それができたかといえば正直疑わしい.
    結局私は「自身が男である」ということを受け入れきれなかったのだろう.
  • 一方,私にとって「女」(そのように振る舞うこと,また自身がそれである可能性を考慮すること)はいわば触れてはならない事柄であり,事実長い間それは避けてきた.
    が,いざそのように振る舞い,周囲にそうと認識された結果,自分でも意外ではあるが,「馴染む」そして「それをやめたくない」という感情が強くあった.

こんな具合かな.

後者については,

  • 私にとって「自身が男」ということは,身体的な意味においても社会的な取り扱いという意味においても受け入れがたい.
  • そもそも,男として生きるなら当たり前にこなせていなければならない事柄,たとえば「男のスーツで仕事をする」とか「性別欄の「男」に丸をつける」といったことが嫌悪感により満足にできず,そのできない事柄が増えていく一方である以上,「男」という生活はいずれ限界を迎えると思う.
  • 一方,「女」として振る舞うこと・そう扱われることについては,身体に反するという考えを持っていた期間・「女」から距離を置いた期間が非常に長かったこと,そしてその考えが抜けきっていないことから,いまだ疑問を感じないわけではない.
    しかし一方で「馴染む」という感情,そして「それをやめたくない」という感情,何より「こちらの方が生きやすい」という感情が強くあるのもまた事実である.
  • 身体的な面においても,女性ホルモンを投与するなどし,いわば中途半端な存在と化した身体の方が,男のそれと比べてもより望ましく思える.
  • したがって私は,当面身体的な治療を継続し・将来――先に述べた,「女」への否定的な考えが抜け,「私は女」と自信を持って言えるようになった時点を想定――においては,身体的な性別とは逆の性別での生活を希望する.
    なお,これに際しては,戸籍上の性別も含めすべてを変更することを希望する.中途半端であることは望まない.

こんな具合かな.これベースにまとめる予定.