「男であって嫌な事」
少なくとも,外部から見る限りにおいて,「女装」と私のやっていることは全く同じにみえるけど,やってる人の意識からすると実はそれって全く違うって話.
少し前,女装な人と「自分が男であって嫌だったこと」という話題になったのですが,その人が「女っぽい恰好や振る舞いが許されない・男っぽい振る舞いを強いられる」だったのに対し,私が「身体も性欲も書類上の性別も,『お前は男だ』と突きつける何もかもが嫌」と,相当大きな開きがありました.
目的と手段という違いでしょうか.私にとって「女っぽい恰好」――現在そんな恰好で通勤し,働いている――っていうのは別にそれが目的ではなく,あくまで「男」を否定するための手段にすぎない,その方が単に「楽」ってだけの話ですから.
そういえば,ホルモンを使う上での考えも「女装」サイドの人とは結構違うのかも.あれは私にとってはあくまで「『男』を否定するためのもの」にすぎないわけですし.
最近思うけど,「女装」ってすごく「男らしい」趣味なのかもしれない.少なくとも私はそう言われることにひどい抵抗があるし*1,自分でそう名乗るのにもひどい抵抗があるわけだし.
*1:仕方ないのは理解している.